人生は続く。
ハッピーエンドで終わるほど甘くなく、
バッドエンドで終わるほどにも後味の悪い事もなく、
中途半端なままで、神様は暇つぶしをしなさる。
それは随分と残酷で、残酷というにはあまりにも寛容で、
ようはなんていうこともなく日々は続いていくというだけ。
劇的な出会いも、運命の転機も、破滅の時さえも、
その後に続くのはただの日常で、無感動な日々なのだ。
卒業式の日には涙を流す彼女らも、新しい生活に流されて、
愛する人を失って嘆く彼らにしても、新しい恋を見つけたりする。
可もなく、不可もなく、漫然と続く日々に飽きてきて、
それでも何かないかと生きていく。
くだらないなぁ、おもしろい。
おもしろいなぁ、くだらない。
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はじめの十年は何がなにやらわからずに過ぎて、
ぼんやりと世界の輪郭を掴み取って、
次の十年には世界の曖昧さに嘆き怒り悲しみ悩み恋して、感情のままに過ごし、
3度目の十年にはなにをして過ごしているのだろうと思う。
失われた十年」を過ごした僕達には何が残されているのだろうとぼんやり思う。
思うのは、最近、みんな、本気で社会がどうとか言わなくなったように思う。
環境問題、国際化、戦争に、経済問題。
そんな風に社会に直面しては真面目に語り、我がことのように語り合った。
でも、今は?どうでもいいような、他人事のような、よくあることの一言で、
片付いてしまう。それは少し寂しいような気がする。
つまり、それは一人ぼっちな社会って事ではないだろうか?
みんなで共有するような事が何もなくなって、
それぞれがそれぞれに孤立して、干渉せずに、孤独で。
それとも、僕が社会と孤立しているだけなのだろうか?
本当に孤立していた時期の僕のほうが、よっぽど社会との繋がりを求めていたのに、
今の僕はどうなのだろう?
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ぼんやりと、夕方のシャワーを浴びて、夕焼け空の公園と、
五月の心地良い風にあたりながら、ほてった肌を冷ますと、
ひどく柔らかな空気を感じる。風と、樹海の声と、虫の声。
なんて満ち足りた世界なのだろう。
海に行って、風を身体で受け止めて、口笛を吹いていた高校時代を想う。
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