どっちつかず+立ち位置+ガストロノミー

明日です。明日ですよ。激しく迷う。
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そして、現在の時刻は4時。準備してないし。8時高速バスにのって羽田か。
寝るのはやめよう。バスと飛行機で寝ればよいし。シフトさえなければ・・・。
まだ迷う。何を迷ってるのかよくわからないけど、自分の立ち位置をだろう。
人間関係で注意しなくてはならないのは自分の立ち位置であるように思う。
「彼女はああいうキャラだから」となんでも許されてしまうI場さんのように、
自分にとって丁度よい人との距離感を保つことが大事になる。
だから彼女と対面したとき、僕はどの立ち位置にいるのがよいだろうと考えてしまう。
にゃー、困った。こんなときに神無さんがいたら何も考えずに撫でていられるのに。
まあ、考えても栓のないことかな。物語は夢想ではなく現実におきてるのだから。
現実に対面して、物理的な干渉をもって初めて事象は成立するだから。
彼女と僕の関係も、僕の立ち位置も、僕と彼女の勢力によって決まるだろう。
もう、最初に伝える言葉も大体決まってるしね。やっぱり花でも買おう。
そして、そのとき思ったことを正直に伝えてみようかな。
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友人が誰かの日記を見てがすとろのみーとやらについて書いていたので補足。
ガストロノミーとは食道楽、美食学のこと。難しいことは別にない。
プディングの味を知る唯一の道は、それを食う以外にない」との言葉の通り、
いろいろなものの味を知ること。更に、美味、滋味、珍味に加えて、
その食のメカニズムの知識もすでにガストロノミーに通じている。
「食を愛するとはどんな料理でも楽しめることだ」と誰か言っていたけど
それもまた愛することの本質に通じるように思う。
君は卵かけ御飯が高級食材に劣っていると思うか?
例えば昔食べた駄菓子の味は美味しくなかったか?
僕が思うガストロノミーとはそういうこと。食を愛すること。
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そういえば、子供のとき大好きだったお菓子を食べてみた。
食べてみたら意外と美味しくないと感じる。それには理由がある。
いつも日記に書いているが食べるということは自分の体の要素を得るということ。
その瞬間に、体と心が欲するものを美味しいと思う。
だから、食の対象だけでなく、そのとき付随する心象と状況もまた重要な要素。
あの頃の僕は、滅多に口に出来ないあのお菓子(あまり菓子を食べない家)を
本当に欲していたのだろうと思う。でも、いまは好きなように食べる。
だから相対的に欲求の度合いが低く、それゆえ昔より美味しく感じないのだろう。
何事も絶対と相対の関係を持つ。絶対的には美味しい。
相対的にはこれよりも美味しいものがある。その度合い。愛の度合い。
一人で食べる食事より、大好きなあの人と食べる食事のほうが美味しいよね?
一人で食べる美食なんて悲しくなるだけだから。美味しいは分かち合うもの。
食の幸福を愛する人と共有すること。全ての人に食事はやってくる。
その食事は神が人に与えた義務でもあり、それゆえに残した喜びでもあると思う。
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あの頃好きだったあの人も今では忘れてしまって、
少し胸が疼くだけ。いまも好きだけど、
あの頃といまではその度合い、心の立ち位置が違うのだろう。
あの時のキスの味を覚えてる。「・・・甘いね。」と呟いたあの時を覚えてる。
あの味を確かめることで、きっといまの関係がわかるような気がする。