指きり

指を切りました。ちょっと肉を持ってかれちゃったよ。
人差し指の第二間接の部分なのだけど、いつも怪我をするところだね。
痛みに対する耐性が高いので痛くはないのだけどね。
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今日は品質コンクールの店代表として初出場。
ぼろぼろでした。多分、普段の半分以下の力しか出せなかったさ。
中でも一番若くて、経験値の低い人だったので、駄目でした。
で、競技中の千切葱を作ってるときに指を切りました。
前日、あれだけ指を切るなといわれたのにね。いざやってみると駄目のものだ。
ところで、このコンクールは正確さと、正しさ、速さをみるものなので、
普段、どれだけマニュアルを尊守してるかが問われます。守ってないですね。
正直、あんま意味がないのではないかと思われるようなものもあるのですが、
しっかりそこを見られます。
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指を切ったのだけど、痛くないので放置していたら、血が溢れる溢れる。
ティッシュ箱。半分減らすほどの血液が出る中、競技をこなしました。
正直、衛星管理上よくないですね。薬味に血が付いていたから紅くなってたし。
茹麺機の湯が赤く染まったとさ。まあ、いいや。ごめんね、店長。
そんなわけで勝ち抜けなかったのだけど、ちょっと目標が見えたかもね。
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その後は、上司とじっくり話をする機会なのでささっと帰らずに、
暫く、時間を潰しながら色々な話をしました。僕はあれです、浮ついてる奴です。
なので、もっと足元を、やるべき事をやってから改善提案をしなさいといわれました。
そのあと二人で焼肉を食べに行ったときに、科学の定義とは何かとか
宗教に頼ることの意味は何か、など仕事以外の雑談をしました。
科学とは再現可能性・客観性のある事象の観察によって導き出された普遍的な法則の
ことだと思うのです。体系的であり、経験的に実証可能な知識である。
上司と宗教の話をしていて、宗教は当時の科学だったという話をしたら、
拒絶反応が出た。さすが物理学部出身。数式で表せないことは信じないと見る。
でも、科学というのも時代によって変化していくものですよという話をしたけど、
受け止めてもらえなかったようだ。もっと具体的な論説を展開できるように
知識を蓄えようではないかとちょっと気合が入った。
その中で出てきたのが1+1の話。「1+1=2は証明できないんですよ」
「数字が科学的とはいいますが、それすらも曖昧な概念でしかないのです」というと、
「1+1=2はそういうものだという定義であって、定義を疑うことに意味があるのか」
といったのでこう返した。「数学も物理学もまた信仰からスタートしています。」
「数学は、定義、原理、仮定で始まります。例えば1+1=2を証明しようとした
人が居ますが、実際にこれは実現されませんでした。1+1=2を敢えて
証明しようとはしません。仮定をそうである信じることで1+1=2は
成り立っているのですから。」「いわば、約束事、指きりのようなものです」
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この食事時間は酷く楽しかったように思う。
上司もそう思ったようで「また今度、話をしよう。こういう話が好きだからな」
といっていた。ふと思った。「信仰は無駄だ」という彼は、
実際のところ接客業をどう思っているのだろう?
彼の言う無駄なところが重要なこの職業をどう思うのだろう?
無駄だといいながら、彼の仕事はいつもお客さんの方を向いていて、
いつも僕の目標となる位置にいる。きっと、本当は別のことを思ってるのだろう。
彼の立場や立ち位置がそういう言動を取らせている。
いつだかの僕もそうだったから、なんとなくそう思った。
世界は無駄に溢れている。有益なものも、また見方を変えれば無駄なものだから。
また、必要なものはそれとは関係ない、いわば無駄な部分を土台にできている。
必要なものだけをより集めても、それはきっと駄目になってしまう。
なんとなくそう思った。いわなかったけどね。
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一青窈の指切りのPVが好きだ。
それを見ていると、かつて誰かと指切りをした記憶が思い起こされる。
「いつか、ここに戻って、一緒に遊ぼうね」といって別れた。
あの子達は元気だろうか?こんな僕を師といってくれた彼ら。
もう、何も教えてあげることはできないけれど、
いつか僕が感じた、教師との別れのカナシミを教えてしまったあの子達。
「きっと、彼らも僕のように大人になって、ぼんやりと僕を思い出すのだろう」
「じゃあ、僕の記憶にある師のように、僕もこの子達に何かを残せたらいい」
別れ際にそう思った。あの指切りをあの子達は覚えているかな?
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店で騒いでいる子供が居たので、捕まえてみた。
「ここは走るところではないよ、わかる?」眼を泳がせながらその男の子は
「わかった」といったので「では、指きりだ」と指切りをしてみた。
あまり効果がなかったようで、その後も彼は走り回っていたのだけど、
他のお客さんが帰り際に
「あの時はよく言ってくれたね。ほんの少しの間静かになったよ。
でも、最近の子供達は指切りをしてもすぐに破ってしまうのだね」と
少し悲しそうにいっていた。それがいまの日本の問題なのかもしれない。
ルールは、約束は、当たり前のように破られる。
それが本来の自然な状態であったとしても、漠然と思う。
少しずつ、日本は狂い始めている。
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大人になって思うのは欲望を抑制するものが少ないということだ。
いままでは教師や親やルールがあったのに、いまはほとんどない。
欲望のままに欲求を充足させては、それを疎外するものに当り散らす。
そんな大人を見ている子供達に、約束を守れというのが無理なのかもしれない。
タガが外れている。増長というのだろうか。自分の嫌な部分が前面に出始めている。
かつて、嫌悪して、自制していたものがはみ出し始めている。
自覚しなくては、と思う。大人になって、抑えるものが居ないのなら、
自分で自分を抑えるしかない。子供よりも我侭な大人のなんて多いことか。