濁り水

水は命だ。
生命は水から生まれ落ちた。
自ら陸へと上がり、それでも水の束縛からは逃れられない。
自己の中に水を内包し、化学反応を起こして生命力を得る。
水は循環し、その流れは命のやり取りのようにも思える。
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今日は三鷹市の水道工事で1時から5時までの間、
濁り水がでるという知らせが昨日きた。
僕は昨日休みで、店長からのメールでそのことをしった。
普段の僕は深夜勤務であるにも拘らず、
なんとその日は月に一度あるかないかの昼の勤務日だった。
まあ、そんなこともあるのかもしれない。
主任になって初めての危機的状況下での営業であり、何があるのかわからない。
とりあえず、備えあれば憂いなしということで20Lポリタンクを準備する。
実際に水なしの状況で昼ピークに突入した。
ラーメン、というか調理という作業はいたるところで水を使う。
飲み水、スープ、麺をゆでるときに使う水、食器の洗浄・・・
これらをセーブしながら、いつ濁るかわからない水を使って行わなければならない。
最初は水を濾過する浄水層が設備されているのを知っていたが、
濁った状態で使うと故障の原因になると思った。
そのため、なるべく水を使わない状況で調理を行ったが、
常に湯を沸騰させている状態のため、すぐに蒸発してしまう。
準備していた水もすぐに尽きた。
もうやけくそだと、濁り水が出ても構わないと普段どおりの営業に切り替えた。
・・・結局、その日は濁り水が出ず、工事は終了した。
リスクマネジメントの大変さと、徒労の辛さを思い知った。
幸いにも残飯の量は普段よりも少なかったのだけど。
正直、何度営業を停止しようかと思ったほど、大変だったし、作業が複雑で、
商品の提供時間が大幅に遅れてしまった。
もっと速く、手を打つべきだったなと思う。
しかし、今回のことで次にどのように行動すればいいのかわかった。
少し、成長できただろうか?
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今、僕の心を水に例えるならば酷く濁っているのだろうと思う。
考えなくてはならない問題を曖昧にして、気持ちが晴れることはない。
濁った水を浄化する方法はいくつかある。
水を捨てて新しい水を入れる。浄化槽に通して濾過する。時間を置いて分離させる・・・
どの方法を選択すればいいのだろう。