生きることの意味

今まで何度となく考えたこと。
生きることの意味。
今までのそれは自分のこと。
今日のそれは人類のこと。
いつものように立ち寄るコンビニ。
ある日、その店員が変わっていた。
いつもの日常の、ちょっとした変化。
数年後のことを考える。
コンビニはきっとあるだろう。
でも、来る人も働く人も変わっているに違いない。
変化していないようで、確実に変わる世界。
それは傍から見れば何の違いもないのだろう。
でも、それは代替可能だということ。
全てに等しく意味があり、全てに等しく意味がない。
誰がなにをやろうと全てが同じ。
予定調和の世界。世界はそうなるようにできている。
ひどく、今の日常が寒々しくなった。
人はいま、生きようとしている。
不老不死も可能になりつつあるという。
でも、何のために生きる?
生きる目的は?
なにか凄く、どうでもよくなってしまった。
ただ、生きる。そのためだけに浪費される資材と時間。
空白を埋めるための文化。
楽するために作ったシステムに働かされる人。
その先にあるのはなに?
思い出した。
自分がかつて、生きることをなんと評していたのか。
暇つぶし。
それを忘れるくらいには幸福だったのかもしれない。
でも、思い出してしまった。
意味も、目的も、方向性も、制約も、筋道もなく。
ただ生きているだけ。
自分だけが特別だと言うのは幻想で。
いつか繰り返されてきた筋道を。
誰がやっても変わらないようなステレオタイプな生き方を。
どこかで聞いたような模倣品のような。
そんなこと。
それは偶然なんかじゃなくて。
有り触れた、単純なこと。
生きることは、本のページを捲るのと同じ。
どのページを開くかはわからない、登場人物もかわるかもしれない、
それでもそれは本でしかない。
ひとつの結末へ向けて進むだけのこと。