刺激

最近、刺激がないなぁ、と思う。
そのことについて、彼女から指摘を受けた。
そういえば、そうなのかもしれない。
映画も本もよく鑑賞するけれど、それらは受動的なもので、
能動的ではないからか、あまり感動しない。
参加型のなにか、が重要なのかもしれない。
そういえば、一昨日、店にきた後輩は「活き活きしている」といった。
お店で働くことは、意外と楽しいのかもしれない。
一昨日は土曜日で、らーめん祭り(298円)で、祭りだわっしょい!
とか、ヘンなテンションになっていたし、
途中から店長がブロック長に呼び出されて、厨房が一人足りない状態で、
お店を回していたので、ヘンな脳内物質がでてたのかもしれません。
きっと、半分くらいやけくそだったのでしょう。
そういえば、昨日も夕方ピーク、仕込み無しで突入したっけ?w
と、少し仕事が刺激的なのかもしれません。
でも、そんな刺激は求めていません。

空を見れば青い、熱湯が足にかかれば熱い、指を切れば痛いという僕です。
もしかしたら表現の問題なのかと気付きましたが、なかったことにします。
ようはどうでもいいことを、それ以外で感じることが大切なのだ。
日常の嘘、日常など存在しないこと、毎日が新しいと感じる心。
マンネリズムを乗り越えて、パターンを再構築する力。
君がいないとつまらないよ。と、本音は隠してさ。
なにか楽しいことはないかなぁ。
笑っている時間を人生の豊かさとするならば、最近、僕は笑っていない。
時間がないから?
時は金なり。僕は給料を得て、時間を売っているのだと思う。
そんな問題でもないのだろうか?
欲求がないから?欲求を抑えているから?
僕を楽しませて。僕の興味を引かせて。僕を満足させて。
美味しいものも、綺麗なものも、美しい音楽も、
心地よい感触も、胸をすく香りも、なにもかもが色褪せて見える。
もう飽きた。この状態が随分と長いこと続いている。
すべてが全ての延長で、予定調和と補正できる程度の少しのずれと。
ああ、つまらないなぁ。
自分のせいでつまらないのかな?
それとも過剰に刺激を与えられすぎて、わからなくなっているのかな?
どっちも同じか。刺激欠損も刺激過剰も同じ、か。相対的なものだから。