血と涙

「ただ、透明だというだけで血よりも涙が軽んじられるのは不公平だ」
誰の言葉だっただろう。
記憶も曖昧で、果たして正確に覚えているかどうかも怪しいこの言葉。
酷く記憶にこびりついている。
というのも、涙は赤血球がないだけで、血液と同じ成分だからだ。
だから、涙を流すと眼が充血して赤くなる。
赤血球の絞り滓がその正体だ。人は涙を流す。
悲しい、楽しい、嬉しい・・・様々な感情の揺れで涙を流す。
それら感情の波はストレスに変換され、血に有害物質が生成される。
それを排出する機構が涙であり、涙腺である。
赤血球が残るのは、体内で血液を再生するのに利用するためだろう。
眼球から血がなぜ流れるのか僕はまだ知らない。
きっとそれが流れる時には、誰かの血が流れているのだと思う。

昔の哲学者は「人が涙するのは自分のためだ」といった。
悲しい場面を見れば、こんな悲しい場面に遭遇した自分が可哀想、
嬉しい場面を見れば、こんな嬉しい気持ちになった自分が可愛い、
そうやって人は涙を流す。
そんなことを考えていると昔を思い出す。

涙の訳を思い出すと、甦るのは塩辛い水の味。
何がそんなに悲しくて、悔しくて、怒っていたのか。
世界を憎悪していた時期があった。
今は美しいものや楽しいことに涙する。昔ではあり得なかったこと。
それは少し甘い。

「健全な精神は健全な肉体に宿れかし」、
ANIMA SANA IN CORPORE SANO.
ASICS(精神・健全な・内に・身体・健全な)
ただ、健全な精神と健全な肉体のみを望め。他は必要ない。
僕は今、きっと充足されているのだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ところで今日、散髪に行った。
ついでに眉毛も整えてもらったが、左右の角度が異なる。
おかしい。近くで見るとおかしい、遠くでみると少しおかしい。
まあ、しばらく放置して生えそろうのを待つとしよう。