いつだかのTVで青木さやかが恋に落ちる三つのingといっていた。
なんだっけ?タイミング、フィーリング、ハプニングだっけ?
ははん、確かに心理学的恋の解釈の三要素にでてきそうだが、
この世界にはそんなものは腐るほどあるわけで、
一概には言えないのではないかと思うわけです。
別にこれを拒否するわけはなく、
そんなこともあると思う次第であります。(変な日本語だね)
恋や愛というとなんていうか、特別なもののような気がするけど、
それは日常的にごくありふれたもので、僕らが特別視するような、
そう、素敵な恋や愛というのは一側面の集合にしか過ぎないと思う。
それらは日常的であるがゆえの怠惰や退廃的部分があるわけで、
言い伝えられるような素敵なことだけで物語は構成されているわけではなく、
むしろそういった部分以外のところが大半を占めている。
それはどちらかといえばグロテスクな部分も含まれるだろうし、
より原初的な欲望が満ち溢れているわけですな。
それでも伝聞される恋や愛は甘く柔らかな響きを持って、
現実と幻想との対比において、僕らの日々の行いの上での恋は
見劣りするものなのかもしれない。思い通りに行かないこともあるだろう。
だが、それがどうしたのだろう?
僕らは僕らが獲得しうるものを愛すべきで、それらと対面すべきなのだ。
それ以外のものなど全く関係がなく、そんなものに惑わされたところで、
「〜しなくてはならない」と妙にマニュアル的な行動に出てしまい、
お互いがつまらない、しらけた状態に陥るのが関の山であるように思う。
決定的に違うのは僕と僕以外は異なり、また僕らと彼らは違うのだということ。
だから君は自分の思う恋をすればいいのだろうし、
相手によってその方法や形は変容していくものだろう。
なにも迷う必要はないと思うのですよ。
君が迷っているのは、それらの行為で君が何を失うかであり、
獲得しうるものとの差を天秤で推し量っているのであるということを
忘れてはならないってこと。なんの話やら。
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フランフランで例の皿を買いました。やったね。