どうでもいい

「イチキ君はどうでもいいっていっているけど、そうじゃないと思うよ」
といわれたことがある。口癖は「どうでもいいで」、全ては同じ事だと思うから。
それはきっと、自分自身の存在を過小評価しているからで、
僕が何をしたところで結果は変わらないからだと思う。
「うん、どうでもいいよ。」とか「いいよ、別に」というし、
「興味ないでしょ」とか「ほんとは悪いと思ってないでしょ」とか
すぐ言い当てられてしまう。でもさ、本当は思っているのだよ。色んなことを。
「どうでもいいよ」は「君がよければ僕はどうでもいいよ」だし、
「君がよければ、僕はなんでもいいよ、別に」といった主体性のない
考えだったりもする。「興味ない」のは多分、ほとんどのことで、
大概の結果が想像の範疇だから。でも、実際にやってみると
楽しいことをしっているので、いつも何かをしてるし、
「悪いと思っていない」わけではないよ。
実は時間に遅れることは悪いことではないと思うけど、
君の気分を害してしまったことは悪いと思ってる。
ひねくれてるのかな?どうだろね。自分のことは本格的にどうでもいいからな。
僕の、領域を踏み荒らさない限り、ね。
誰しもが持っているこの領域に届こうと思うと、ある程度の興味と関心がないと。
でも、それは別の話で、いまはどうして僕はそうなのかを自問してみようと思う。
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うん、といっても結構、はっきりしていることでもある。
それは僕が人の気持ちが全く判らないからで、それに対する技術だから。
幼少の頃、僕は本当に危ない子供だった。自我しかなかったから。
周りは完璧に見えない子供だった。振り返るとそう思う。
自分の感情の思うままに躁と鬱を繰り返して、
塾でも「学校で抑圧されてる反動」といわれるぐらいのハイテンションで、
家ではひたすらゲームと、内省的な文章を延々と繰り返していたし。
学校でも言わずもがな。居場所はなかったと思う。
まあ、そんな僕でも人付き合いというのを徐々に覚えて、
人に合わせる、自分を押し殺すというスキルが身に付いたわけです。
その結果が、衝突を避ける、どうでもいいことを切り捨てること。
もともと、人生に意味なんてないとか厭世的なことを考えていた名残かな。
でもたまに強く主張することもあるけれど、
反論されればすぐに意見を翻す。「はい、ごめんなさい」というのがそれ。
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でもさ、「どうでもいい」でも「そうじゃない」としても、
僕は人の気持ちがわからないんだ。どんなにスキルをつんでもそれは変わらない。
自分の感情すら、快か不快かしかわからなくて、だから食事による快を積み重ねる。
だから、自分の快く思うことを他人と共有することしかわからない。
時々不安になって、「美味しい?」「楽しい?」「食べる?」と聞いてしまう。
君が喜んでくれればそれでいいのにね。でもさ、それじゃ足りないこともある。
君が悩んでいるときに気持ちがわからない僕は何をすればいいのか戸惑ってしまう。
「どうしたの?」ときいても、俯いているだけの君をどうすれば笑わせられるか、
わからないんだ。そんな時、僕はなんて無力なんだろうと思う。
結局、大切なことは何一つとしてわからないんだと。
「どうでもいい」は諦めの言葉でもあるのかもしれない。
どうでもいいことが多くて、それでも大切なものがあって、
色々なことを切り捨てるだけで、大切なものを守ることができやしない。
捨てるばっかりで。そればっかりで。
「どうでもよくない」ことを「どうにかする」ことができない。
曖昧で、曖昧で、曖昧で。君の事をもっと知りたいよ。