「君は一番大切な人だよ。」といわれたことがある。
最近、ふと思った。一番大切なのは本当は自分ではないのかと。
でも、そう思っている自分に嫌気がさした。気分が悪い。
心ではそうではないと叫んでいるのに、頭はそうだと割り切っている。
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自分が自分であるための境界線を犯さなければ僕は大概のことは許す。
それが僕のどうでもいいという意味。さして変化は訪れない。
それは必要ではないから。では、問い。
自分を犯すような存在を僕は許せるだろうか?受け入れられるだろうか?
・・・受け入れるには時間が掛かる。そして相手にも同等の対価を求める。
「愛を受け止めてくれる人が欲しい」と切に願う。
それは自分が彼女を愛すると同時に、彼女も僕を愛するということを意味している。
さて、僕はどうしたいのだろう?僕の意味する愛とは一体なんだろう?
僕にとってそれは抱きしめること。大好きなものを抱きしめる。
それが僕にとっての愛情表現。でも、それは禁止されていること。
だから葛藤する。抱きしめたいのに、抱きしめてはいけない。
だから触るのも、触られるのもあまり得意ではない。
どう、反応すればいいのかわからないから。