「素直じゃない」・・・と何回言われてきただろう?
「僕は正直なだけさ」・・・と何回返してきただろう?
「でもね、正直なだけじゃ生きていけないんだよ?」と思った。
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とあるロイホの風景。
「もっと自由に好きっていっていいとおもうんですよね」
時刻は次の日に差し掛かる時間。
「例えば、好きといわれたら、相手はその言葉に答えようとします。
でも、別に返答を求めているわけではなくて、これからも仲良くしようとか、
単純に可愛いとか、そういう意味でもあると思うのですよ。
ニュアンスがちょっと違うんですね。妙に構えてしまう節がある。」
「じゃあ、本当に好きな相手に好きっていえるのか?」
「・・・そこなんですよね。聞こえは悪いかもしれませんが、どうでもいい相手に
好きといくらでもいえるんですよ。別に色よい返答でなくても傷つかない。
でも、本当に好きな相手だったら?拒絶の言葉は胸に突き刺さってしまう。
これは困った話ですにゃー。ではどうしたよいんでしょうね?」
「答えるならペットにしたいだろう」
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・・・なるほど、高校生の頃に「犬猫に対する感情に似ている」と自分で言っといて
忘れていた。そうなんだ、愛しいという感情はそういうものなんだ。
ペットというには語弊があるけど、可愛がりたいとかいにゃんにゃんしたいとか、
ぎゅっとするとか、時々、いじめたりとかは愛玩と同じなのかもしれない。
そうなると、僕がたまに女友達を抱きしめたくなるのはそういう感情なのだろう。
「まあ、わからないでもないよ。そういう感情になるし、実際、抱きしめてもいる」
「愛情を表現する手法を、僕はそれ以外にしらないですからね。
可愛いと思ったら可愛いと言って抱きしめていいんですかね?」
「相手にもよるさ」
・・・でも、それは欲望の赴くままに行動しているだけのようにも思う。
「ただのエロ親父じゃん」って言う言葉は思いのほか僕の胸に突き刺さっているし。
「難しいですね」「難しいね」
「僕はきっと好きなんです。大好き。抱きしめたいし、可愛がりたい。」
「で、たまにいじめたい?」「困ってる姿を見るのは好きですからね」
「変態だね」「変態ですね」
「でも、最初は何であれ、抱きしめ続けていると、そのうち慣れが出てくる。
それが自然になってくる」「じゃあ、抱きしめてみよう。
でも、好きだからといってなんだというわけでもないんですよね」
「・・・お前は中途半端だよな。スタンスがいつもぐらついてる」
「そうですね、そこはいつまでも変わらない」
「以前に悟ったことじゃないのか?」「なにも悟ってないですよ。なにもわからない」
「その割には妙に確信的だよな」・・・それはわからないフリをしてしてるからかもね
結局、わかるのは好きという気持ちと、それを伝えるための抱きしめるという行為。
行為は、好意に通じているから。うん、思えば僕はスキンシップが大好きじゃないか。
いままで抑えてきたけど、常に男も女も関係なく抱きしめたい衝動にかられている。
ああ、でも「抱きしめてもいいですか?」と聞くのは変態っぽい。
「手は繋いでもいいものなんですかね?」
「俺もたまに繋いでもいいんじゃないかとは思う」
「でも、禁忌視されているのはなんででしょうね?」
「さあ、なんでだろう」何でだと思う?