ではね

「好き」の反対は「好きじゃない」
「嫌い」の反対は「嫌いじゃない」
それはともに無関心ということ、どうでもいいということ。
全てがどうでもよくなった。
もともと僕はそういうやつだった。それを忘れてた。
人に踏み込みすぎても、深入りしすぎても駄目な奴だった。
「なんで、怒らないの?」「なんで、怒るの?」
「あまり自分を責めないで」「では、誰を責めるの?」
「それをするには凄い勇気がいると思う」「そうかもね」
後悔は星の数だけ、思い出は数えるほどに。
一緒にいられた時間は、1週間にも満たない。
にも拘らず、ここまで踏み込んだのはきっと特別。
それすらも、もうどうでもいい。あーあ、本当に残念だ。残念だよ。
「ばいばい」「ではね」この二つの意味合いは驚くべきほどに違う。
僕は「ばいばい」という言葉が嫌いだ。
小学校の頃、最初の担任の先生との別れのときに、手紙を貰った。
題は「ではね」内容は別れ。
「さよなら」も「ばいばい」とも言わず、
「ではね」といって別れよう。次に会うことを信じて。
次に会うことはなくとても。
だから僕が「ではね」以外の言葉を言うときには、特別な意味がある。
それを言われたときも、覚悟をする。独りで生きればいい。
あーあ、下らない。
セイの時でさえも、泣きはしなかったのに、
本当に久しぶりに誰かを思って泣いたのだよね。
前に泣いたのはYMCAの子供達と別れて、
もう何も教えてあげられないことだったかな。
まあ、そんなもんだね。
というわけで元に戻りました。
何がきっかけで、何が終わるかわからない。本当にやれやれだよ。
何がきっかけだったのだろうな?やっぱ、泣いたことか?
それともなにか理由があったのかもね。
どちらにしろ同じ事。考えても栓のないこと。
ゆらゆらとタユタウように、のらりくらりと漂いながら生きていこう。
踏み込まないように、感情を噛み殺して、
心を抑えて、押し殺して、何も思わないように、
思っても口に出さないように、生きていく。