終始

終わりがあるから始まりがある。
終わりのない始まりはない。そう思う。
認識の話でも、相対の話でもなく、直感的にそう思った。
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僕はよく相対の話を出す。
相反するもの、反対の物事のこと。
例えば前の反対は後ろであり、右であれば左だ。
なぜ、前の反対は奥ではなく後ろなのか?
それは単に観測者の位置関係によるのだろう。
では、男の反対はなぜ女なのか?
本来、男と女は染色体や遺伝情報から見ても酷く似たものであるし、
両性具有や無性生物のほうが反対に相応しいように思う。
もっと言ってしまえば男ではないもの全般がそうではないかと思う。
そんな話を友人にしてみた。
「どう思う?」
「反対ってのは別に異なるってことではないよ。
多くの共通項を含む類似のもので、ある分類に置いて差異があればいいのさ。
太陰図ってあるだろう?あれを見れば分かると思うけど。
男と女は生物的に近くても、性別という分類上では反対に位置する。
それすらも観測者の捉え方で違ってくるさ。
現実の反対は虚構であってもいいし夢であってもいい。」
「似ているは違うってことだしな。なるほどね。全ては同じ。
ただ、見分けをつけるためにそうやって区別をしているんだね。」
「では、これは誰のものだろう?」
そういって僕たちは最後の黒胡麻団子を見た。
「誰のものでもないさ。」笑いながら僕はそれを頬張った。
「有か無か。1か0か。それを観測する時点も大事なんだろうね。
一瞬前まで誰のものでもなかったものが、
事象によって君のものと僕のものという彼我の差を作った。
・・・今は辛くても、いつか楽しかったと思うことがある。
でも、それは過去の思い出になったときの話だ。曖昧ではだめだ。」
「なんの話さね?」
「さてね、結果が出るかどうかも分からない可能性に縋るより、
もっと有益な道があるのではないかと思うよ」
「有益かどうかは僕が判断することさ。状況が変わるまで保留として、
白黒つけないこともできる。二元論では語ることができないこともあるよ」
「いいや、人はいつも自己意思で選択すべきだと僕は思うよ。
選択肢は二つ。有か無か。保留でも時間切れはある。それが状況の変化さ。
ただ、時間切れを待つよりも、自分で選択することをお勧めするね。」
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今日日曜日の休日、先輩と友人とで三軒茶屋に行った。
チーズケーキファクトリーCCF」の食べ放題に行くためだ。
よくよく考えてみると、僕はあまりチーズケーキを食べたことがない。
そして、今回食べてみた結果、あまり印象に残らない食べ物だと思った。
印象に残らない割には胃には残るとも思ったけどね。
ただ、可能性はあるように思った。一般に使用されるのはクリームチーズで、
もしかしたら別のチーズを使用すれば、もっと違った方向があるだろう。
ただ、どちらにしろ、食べ放題を楽しむには味の緩急が弱い。
その後、IID・世田谷ものづくり学校に行った。↓
http://www.r-school.net/
・・・このIIDのマーク、鹿島建設のマークの盗作ではないだろうか?
・・・もっといえば大塚家具にも似ている。
まあ、それは置いといて、IIDは小学校をリノベーションして、
各アートスタジオに場所を提供し、芸術の発展・育成を試みている。
このコンセプトに興味があって、いつか行きたいなぁと思っていた。
行ってみた感想。終わらない文化祭。デジスタ未満。箱物。
各スタジオが共同で何かをやるとかしたら物凄いことになりそうなのに。
とても残念な場所です。昔のサロンとか工房ってあんなんだったのだろうな。
久しぶりに小学校という場に訪れて、文化祭の期待感を味わいました。
多分、僕はこの空気が好きです。
ただ、停滞や退廃的な雰囲気があって、強い目的意識を感じられませんでした。
終わらないと何も始まらないんだなぁと感じた理由です。
自分と重ねて思わず苦笑いをしてしまいました。
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そんなこんなで芸術と食欲の秋を計らずとも体験してきた一日です。
その後、駅前の珈琲店で恋花を咲かして(恋話ね)
「自分がどうしたいのかわからない」といわれました。
本当にどうしたいのだろうね。結論を出すのも、結末も望んでいないし、
結果は出ているし、自分でどう結論を出すのかと提出期限のない論文を
書いているような気分だよ。多分、それは僕の中で
終わりが始まっていないからなのかもしれない。
状況に流されているだけのような気もする。終始、僕はこんな感じなのかもね。
「思ったよりも元気そうでよかった」と先輩から言われた。
一時期は本当に不安定で、危ういと思ったともいわれた。
本当にね。
相手はもう結論を出していて、僕はまだ出していない。
「市来さんの気持ちは?」メールをした友人からも言われた。
でも、さ。それを言ってもいいのかな?我侭になってしまう。
なんとなく、彼女が別れを切り出した理由も分かるし、
将来のこととか彼女がそう望んでいるのなら、と納得してしまう。
納得してしまう自分が嫌だけれど。本当はそんなの嫌だけど。
納得できるわけないよ。会って、話して、説明されたわけではないのに。
でも、ぶつかり合っても消耗して、傷ついて・・・なんになる?
それでも本当に言ってしまってもいいの?
想いが弱いとか、彼女を愛していないとかそういうことではなくて、
綺麗事でもなんでもいい、好きだから考えて待っているんだ。
迷って、考えて、想って、何かが変わるのを、何かのきっかけを、前兆を。
抑えられない衝動を言葉にするのは簡単で、
でも、正体の分からないそれを口にしてしまえば、なにかが壊れてしまう。
抑えようとしても零れてしまうほどに強いそれは、
きっと終わりを始まらせてしまうほどに強い。
終わったなにかに新しい始まりを与えてくれるのかもしれないけど。
だから、何かが動き出すのを待つ。