いろんなこと

まずは守野先生のご冥福を祈ります。
もっと、色んなことを話してみたかったけど、もうその機会はないのですね。
とても残念です。でも、そんなものかもしれない。

最近、過労死することについてよく考える。
それはきっと、スイッチがオフになるようにパタッと死んでしまうのだろう。
スイッチ(意識)を切りたいほどにこの世界が嫌になったのだろうと思う。
例えばそれは目覚めるときに、「今、起きても何がある?」
そう思って、もう一度、眠ってしまうように希望も期待も諦めもないような
感覚なのかもしれない。
この時期、僕はよく死と向き合う。死んでしまいたい誘惑に駆られる。
それは、生との対比からよく現れるというけど、生きたという実感はまだない。
多分、あれがそうだったのではないだろうかと朧気に思う程度だ。

僕は生きることにあまり興味がないのかもしれない。
もしかしたらそうではなくそういう素振りを見せて、
生を渇望しているのかもしれない。
よく「どうでもいい」「興味がない」というのはその表れだろう。

昔の僕はこういっていた。
「僕はまだ、誰かの一番になったことがないから」と。
多分、一生そんなことはないのだろうと諦めていた。
でも、一番になって、またそうではなくなって思うのは、
誰かに必要とされたいと強く願う。いらなくなったのかな?

「それで傷つかなければ恋愛をする資格なんてない」
「それだけ傷ついてるってことは、本当に好きだったんだね」
「悪くなることもあれば、よくなることもある」
でも、苦しいよ。昔は一人で平気で、当たり前だと思っていたけど、
今はそれが寂しいと思う。

歩む道が交差して、またはなれた。それだけのことかもしれない。
ずうっと一緒の道を歩けたらと今でも願う。
たとえこれから道が交差することがなくても、ともに歩んだ光景を忘れない。
思い出にしたくないけどね。

いろんなことがありすぎて、少し疲れた。
僕は暫く立ち止まろうと思う。仕事に情熱を傾けたのも、
その先に、一緒になる日を夢見ていたから。
終わったわけではないけど、これもひとつの区切りなのかもしれない。
その道に僕が居ないのは本当は嫌だけど。
君の歩む道に祝福を。